名称未設定-1

 

こんにちは。COMFORT STYLE-コンフォートスタイル-のWEBスタッフ山崎です。

前回は大川家具のおこりとはじまりについてお話させて頂きました。
私自身も知らなかった事があり、記事を書く事がいい勉強になっております。

※前回のテーマを見逃した方はこちら。
-起源は約480年前!開祖あらわる-

 

それでは、今回のテーマはこちら
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「大川家具の歴史-不況にも負けず発展を続ける家具産地-」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

【-明治10年頃-榎津箪笥誕生】

大川独特のデザイン、機能を持った衣裳箪笥が誕生しました。
⇒榎津箪笥の特徴
・非常に大型
・材質は杉・桐・欅
・素木・透漆・黒塗などで仕上げられている
・金具には鉄・銅・真鍮などを使い、薄いタガネによる細かな透彫りを施す(大川独特のもの)

⇒4つの高度な技術が集結した作品
・木挽きによる製材
・金具製造
・塗装技術
・木工職

という4つの高度な技術をもった異業種の職人による技術が必要で、
その4つの技術の粋を集めた作品が「榎津箪笥」なのです。

 

【-明治22年頃-町全体の四分の一が「木工関係者」に】

今から約100年ほど前の明治22年(1889)、町村合併によって大川町が誕生。
それにより、なんと!町全体の四分の一を「木工関係者」が占めることに。

⇒大川木工が発展した要素
塗装方法や木工機械の進歩などの技術の発展のほかに、
材料の木材が確保できたことと、家具製品の販売先が広がったことがあげられます。

 

【-明治42年頃-家具産地の町へ】

明治時代になると、最新の技術が導入され、
新しい意匠を加えた精巧な家具が生産されるようになり、
大川の町も“家具産地の町”として全国にその名を知られるまでになりました。

 

【-明治44年頃-「大川工業講習所」を開設】

後継者の育成に尽力しました。

 

【-大正時代-不況の中、成長し続けた大川家具】

・大川鉄道が敷設され、販路が拡大される。

⇒第1次世界大戦_好景気→恐慌
第1次世界大戦時およびその直後は好景気だったようです。もちろん大川の木工業も。
しかし、いつの時代も好景気の後に待ち受けるのは…不景気ですね。
大正9年にもなると戦後の恐慌が押し寄せ、日が経つごとに不況の度を増していったそうです。

⇒品質の向上に努め、不況を打破
不況でも、大川の業者は負けませんでした。さらなる努力を重ね、品質の向上に努め、不況の打破を試みます。
このため、業者数、従業員数、生産高ともに好調な成長を続けたそうです。

またこの頃、組合では各地で開催される博覧会・共進会・品評会に
「大川の指物の真価を周知させ、販路を拡張する」という目的で、
主な業者の代表的な作品の出品を積極的に進め、大川の家具の宣伝に尽力。
その結果、近隣市町村に販路が広がるという成果を挙げたそうです。

先人のたゆまぬ努力で、今の大川家具があるのですね。

【-大正時代-木工機械の導入】

この頃になると、増大する需要に応えるべく、ついに木工機械の導入が進められます。
その背景には、好景気による職人不足もあげられます。

⇒松本由太郎_機械化を実践
榎津で問屋を営んでいた松本由太郎は、
大正8年京都大学工学部武田教授の指導を受け、機械化を実践。
大正11年には工場完成。当時では画期的な生産力を発揮するものでした。

■導入された機械
・鋸
・帯鋸
・カッター
・手押鉋
・自動鉋
・自動角のみ盤
など

 

【第5回テーマ「大川家具の歴史-不況に負けず成長する大川の木工業-」のまとめ】

・-明治10年頃-榎津箪笥誕生
・-明治22年頃-町全体の四分の一が「木工関係者」に
・-明治42年頃-家具産地の町へ
・-明治44年頃-「大川工業講習所」を開設
・-大正時代-不況の中、成長し続けた大川家具
・-大正時代-木工機械の導入

それではまた次回(≧∇≦)/